本多忠勝とは?
戦国時代に最も強かったのは誰か?
この話題に必ず名前が挙がる人。
本名:本多 平八郎 忠勝
今日はイベントではなくて、『超人』の話です。
本多忠勝の逸話
Hoku「戦国時代ってみんな学校の社会の勉強でなんとなく苦手にしてるけど、マジで面白いよ。」
友人「ほー」
Hoku「本多忠勝って知ってる?」
友人「知らない、みんな同じに聞こえる」
Hoku「徳川家康はわかるよね?んーとね。徳川家康が”会社の社長”だとすると徳川家第1エリア部長が本多忠勝って感じ。」
友人「ほう」
Hoku「ちなみに織田信長と徳川家康も幼少期は一緒に過ごしてて、実は幼馴染みたいなもんなんだよね。年齢もそんなに離れていない」
友人「え、信長と家康って時代同じなの?」
織田信長の本多忠勝への評価
Hoku「そう、その織田信長から本多忠勝は強い男、って褒められてる」
その武勇、まさに唐の『張飛』のよう。華も実もある武将。
Hoku「ちなみに、織田信長が社長だとすると織田家の第3エリア部長が明智光秀って感じかな。
そこまで詳しくないけどそんなにズレてもないと思う。
第5エリア部長くらいが、豊臣秀吉。そんときは名前違うけど。」
友人「そうなると第3エリア部長が社長殺そうとしたのが本能寺の変か」
Hoku「そうね。そのあと第5エリア部長が第3エリア部長の首挙げた。このときの戦いが天王山の戦いって言っててよくスポーツの決勝とかで使われるよね」
友人「第5エリア部長昇格確定じゃん、織田家の第1エリア部長黙ってないっしょ」
Hoku「そう、第1エリア部長VS第5エリア部長の内容が映画になったね、『清須会議』」
Hoku「それで第5エリア部長が第1エリア部長を倒して、結局社長になった。ここで豊臣秀吉誕生。」
友人「百姓からの超出世だね」
豊臣秀吉の本多忠勝への評価
Hoku「超人だよね。話逸れたけど、この豊臣秀吉からも本多忠勝は褒められたって逸話がある」
「古今独歩の勇士」
友人「すげーな」
Hoku「まあとりあえず本多忠勝の逸話はいろいろあるから調べてみるといい」
友人「お前が好きっていうんだからどうせ超人でしょ?」
Hoku「徳川家康を助けるために一人で1,000人以上の敵の群れに突っ込んだり、本当は死ぬはずの人がやる撤退戦の一番きついところの殿(しんがり)戦で、武田軍に褒められたこともある。」
家康に過ぎたるものが二つあり 唐の頭に本多平八
友人「一人で1,000人はさすがにうそでしょ」
Hoku「当然1,000人同時じゃなくて、昔の武将クラス(名前を持っている人たち)は一騎打ちの文化があったからそれで勝ち続けたらしい。本当かどうかしらんけど」
友人「とりあえずめちゃくちゃ強いってことは伝わってきた」
Hoku「昔の日本文化はお互い名を名乗ってから一騎打ちらしいからね。時代劇とかでいう、『名を名乗れ!』ってやつ。それでモンゴル人が日本へ襲ってきた元寇のときは、日本語が通じなかったから名乗る前に襲われてボコボコにされた、っていう説もある」
友人「グローバル問題。。」
本多忠勝の名前の由来
Hoku「本多忠勝の名前の由来もカッコよくて、『ただ、勝つのみ』からきてるらしい。名前負けもしてなくて、57回合戦行って無傷っていう有名な伝説が残っているくらいミスター超人な人」
友人「やべーやつだな」
Hoku「まあ、ただその時代に本多忠勝を撤退に追いやっている武田信玄の第1エリア部長の馬場信春っていうのもいる」
友人「武田信玄も同じ時代なんだ」
Hoku「この馬場信春ってのもやばくて、70回合戦行ってるけど無傷で多分本多忠勝より強いんじゃないかな、って俺は思ってる。でも強いとか無傷とかどうでもよくて、俺が本多忠勝を好きな理由は遺書。こんだけ強いのに、カッコいいこと言い残して死んでるから性格イケメンで好き」
友人「やべーやつここにもいたわ」
本多忠勝 辞世の句
「侍は別に敵の首を取れずとも手柄がたてられずとも良い。侍とは、ただ難事に臨んで退かず、 主君と枕を並べて討ち死にを遂げ、忠節を守る者のことを言うのだ」
本多忠勝の性格
華も実もある武将、と呼ばれたことや、先祖の忠誠ぶりから察するに、誠実な人間だったのではないでしょうか。
敵国である真田の家族を助けるために嘆願をするなど、逸話を探せば探すほど出るよくできている人柄。
本多忠勝の先祖について
祖父:忠豊(タダトヨ)
主君を逃がすために、討ち死に。(1545年)
父親:忠高(タダタカ)
城攻めの際に討ち死に。(1549年)
叔父:忠真(タダザネ)
忠勝の父親の討ち死に後、忠勝の育て親代わりになる。
忠勝とともに出陣した三方ヶ原の戦い(徳川家VS武田家)にて、忠勝や主君の家康を逃がすために討ち死に。(1572年)
本多忠勝の子孫や子供について
本多忠勝の子供は7人いる。
男2人、女5人。
男二人の名前は兄:本多忠政(タダマサ)、弟:本多忠朝(タダトモ)。
兄:忠政の初陣は小田原城の戦い。(1590年) 後の姫路城城主。性格は生真面目。
弟:忠朝の初陣は関ケ原の戦い。(1600年) 性格は酒好きで豪気だったという。大阪夏の陣にて討ち死に。
大阪冬の陣にて酒を飲んでいたがゆえに不覚をとったが、大阪の夏の陣でその汚名を返上するために奮起したという逸話が有り、『酒封じの神』とされている。
小松姫
本多忠勝の一人目の子供。長女。
Hoku「本多忠勝の娘の小松姫ってのは、真田信之(ノブユキ)と結婚してる」
友人「真田幸村(ユキムラ)なら聞いたことある」
Hoku「その幸村のお兄ちゃんが信之。お兄ちゃんと結婚した」
友人「真田家ってのはなに?」
Hoku「真田家は武田信玄の部下だね、しかもエリート部隊」
友人「武田信玄ってことは徳川と敵対?」
Hoku「そう、だから政略結婚の意味合いもある。特に真田家は“家康キラー”って後に呼ばれるほど対徳川家に異常に強くて、家康からは相当嫌われていた」
友人「お兄ちゃんは徳川家で、弟は家康キラー?戦国時代っぽいね。」
Hoku「そう、徳川家VS真田家は関ケ原の戦いで一旦決着。知っての通り、徳川家の勝利。
敵だった弟:幸村とその父親は当然処刑が決まっていた。」
友人「お兄ちゃん複雑だね」
Hoku「お兄ちゃんは当然、『弟と父親の命だけは助けてほしい』って言った。お兄ちゃんの義理の父親は本多忠勝だから、本多忠勝もお兄ちゃんに味方して、『命だけはどうにか助けてやってほしい』って家康に嘆願した。
友人「家康つら」
Hoku「家康は当然、徳川キラーの親子を生かしておけるわけないから、ダメだっていったんだけど、今度は本多忠勝が『ならば、殿と一戦交えて討ち死にするまで』って言い出した。」
友人「家康つら」
Hoku「最後は家康が折れて、処刑せずに島流しにした。本多忠勝はそのあと老死。家康もその頃はもうおじいちゃんだったんだけど、『大阪冬の陣、夏の陣』でまた、島流しにした「幸村」が敵対。
友人「家康つら」
Hoku「家康VS幸村が大阪冬の陣・夏の陣」
友人「へー」
Hoku「最終は徳川家勝利だけど、その戦いで本多忠勝の息子の忠朝は戦死。家康も殺されかけてるから皮肉だよね」
友人「家康つら」